宮古に伝わる是津親王伝説
プロジェクト ─2022
- TITLE
- 宮古に伝わる是津親王伝説
劇作家・演出家の山田カイルと振付家・ダンサーの木村玲奈はどちらも青森県出身のアーティスト。同じ東北とはいえ交流機会の少ない宮古市・三陸地域で、古い歴史の歩みや地域の人々との交流を通じ三陸沿岸の風土をリサーチし、最終日はその成果発表を開催します。
- AREA
- 宮古市|宮古地区
- ARTIST
- 山田カイル Kyle Yamada(演出家・ドラマトゥルク)
-
- 演出家/翻訳家。抗原劇場代表。1993年テキサスに生まれ、その後青森で育つ。
近作に、翻訳する身体のディストーションをダンスと仮面劇に昇華した『後ほどの憑依(TransLater)』(2015/2020)、3カ国で活動する7人の作家のテクストを元に現代アメリカの闇を描く『NOT IN KANSAS』(2019)、ブラッドベリの小説に着想を得たアートプロジェクト『華氏同盟』(2021)など。また、戯曲誌「石版と織物」の創刊に携わる。
- ARTIST
- 木村玲奈 Reina Kimura(振付家・ダンサー)
-
- 振付家・ダンサー。青森市出身、東京在住。風土や言葉と身体の関係、人の在り方に興味をもち、国内外様々な土地で創作・上演を行う。’19 - ’20 セゾン・フェローⅠ。’20 - 東京郊外に「糸口」という小さな場・拠点を構え、土地や社会と緩やかに繋がりながら発表だけにとどまらない実験と交流の場を運営している。
https://reinakimura.com
- 滞在期間
- 2022年8月5日(金)~9日(火)、1月7日(土)~15日(日)
- 内容
- 地域リサーチと作品制作・発表
- 主催
- 公益社団法人日本芸能実演家団体協議会 アーツライブいわて実行委員会 NPO法人いわてアートサポートセンター 文化庁 統括団体によるアートキャラバン事業(コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業)『JAPAN LIVE YELL project』 アーツライブいわて2022
- パートナー
- 宮古市民文化会館
滞在地域
宮古市
森、川、海に囲まれた三陸海岸に面する市、宮古市。
本州最東端の地である「魹ヶ崎」を擁し、世界三大漁場・三陸沖の豊かな漁業資源や、三陸復興国立公園・浄土ヶ浜や早池峰国定公園など、自然環境を背景に漁業と観光に力を入れている。黒森神楽をはじめ、40を超える郷土芸能があるほか、縄文時代の遺跡・崎山貝塚、戊辰戦争の一つ宮古湾海戦の地など歴史が点在している街。
イベント
EVENT1
- TITLE
- ダンスと演劇づくりワークショップ みんなで孤独になりに行く
劇や踊りを作るというと、多くの人は「みんなで」何かをする、というイメージを持つと思います。しかし同時に、舞台はとても孤独な所です。何せ自分の身体を動かし、自分の言葉を発することができるのは、自分だけです。
この二年間、多くの人が一人の時間を過ごすことを余儀なくされてきました。その時間は辛く寂しいものでもありましたが、その孤独のなかにも私たちは、ときに新たな趣味を見つけたり、自分を見つめる時間を持てたり、豊かな詩情を見つけてきた側面もあると思うのです。
今はまだ以前のように、大勢で集まって大盛り上がりするのは難しいですが、孤独のなかに見つけた小さな詩を互いに見せ合ったりすることは、できるようになってきたと思います。今、私たちが必要としているのは、一人で見つけた小さく孤独な詩と、みんなで集まる喜びの、橋渡しをする時間ではないでしょうか。
そのための技術を人は、演技とか踊りとか呼ぶのだと思います。
共に演じ、踊りましょう。(山田カイル、木村玲奈)
- 日時
- 2022年8月7日(日)13:00開始
(30分前受付|16:00終了予定)
- 場所
- 宮古市民総合体育館 幼児高齢者室
- 応募資格
- 中学生以上(ダンス未経験者大歓迎)
- 定員
- 10名(定員に達し次第締め切り)
- 参加費
- 無料
- その他
- 当日は上履き・タオル・飲み物をご持参の上、動きやすい服装でご参加ください。
- 申込方法
- 申込はこちらからどうぞ
- お問い合わせ
- 宮古市民文化会館
〒027-0023 岩手県宮古市磯鶏沖2-22
TEL:0193-63-2511 FAX:0193-64-5445
iwate-arts-miyako.jp
- 主催
- 公益社団法人日本芸能実演家団体協議会 アーツライブいわて実行委員会 特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター 文化庁 統括団体によるアートキャラバン事業(コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業)「JAPAN LIVE YELL project」 アーツライブいわて2022
- 制作
- 宮古市民文化会館
EVENT2
- TITLE
- 地域リサーチ(前期滞在)
宮古市田老地区、黒森神社、浄土ヶ浜、宮古市立図書館、市史編纂室、横山八幡宮にて地域リサーチが行われました。
- 日時
- 8月6日(土)・8日(月)・9日(火)
- リサーチ先
- 8/6 宮古市田老地区、黒森神社
8/8 浄土ヶ浜、浄土ヶ浜ビジターセンター
8/9 横山八幡宮、宮古市立図書館、市史編纂室
- リサーチ内容
- 8/6
宮古市田老地区にて震災学習ツアーへの参加、黒森神社にて是津親王伝説、義経北行伝説についてリサーチ
8/8
景勝地である浄土ヶ浜にて美しい自然景観と、豊かな資源、それに支えられた地域の産業と人々の暮らしをリサーチ
8/9
市史編纂室にて是津親王伝説や宮古に伝わる各種伝説についてリサーチ
宮古市立図書館にて黒森神社や宮古市の歴史、是津親王伝説についてリサーチ
横山八幡宮にて宮古地名の由来、義経北行伝説をリサーチ
地域おこし協力隊・宮古在住の若手世代へ宮古で暮らすことの魅力や課題についてのインタビュー
EVENT3
- TITLE
- 夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー
かつて平安の頃、都から流刑された一人の皇子が宮古に暮らしていたと言います。皇子はこの地に馴染むことはなく、自らの悲運を嘆いて海に身を投げて命を落とします。その亡骸を見つけたのは、皇子が可愛がっていた鶏でした。皇子の墓はその後黒森神社となり、亡骸の見つかった土地を磯鶏と呼ぶようになったそうです。
多分、全部嘘です。そんな時代に都から三陸まで人が(ましてや貴族が)越してきたとは考え辛いし、僕らがこれまで会った、宮古に移住してきた人たちは皆この地が大好きで、馴染めずに死んだというのは説得力に欠けます。
しかし、そんな王子様の人生を夢想してみる。彼はきっと寂しさを埋めるため、土地の人を集め、歌会を催したのではないかと思うのです。平安人にとって歌会というのは、要はカラオケです。そこで私たちも、宮古市民文化会館の大舞台を借りて、カラオケパーティーを開こうと思います。歌をうたいに来てください。あるいは、歌うひとを見に来てください。
- 日時
- 2023年1月15日(日) 13:00開演(12:30受付開始/15:00終了予定)
- 会場
- 宮古市民文化会館 大ホール
- マップ
- 料金
- 歌うたうチケット 500円
見るだけチケット 1,000円
※上演中の変更承ります。
「歌うたうチケット」及び「見るだけチケット」について
上演時間の間、舞台上では常に誰かがカラオケで歌っている状況を作ります。歌っていただける方には「歌うたうチケット」として500円で鑑賞、歌わずに観たい方には「見るだけチケット」として1,000円でご鑑賞いただけます。
- プレイガイド
- 宮古市民文化会館
- お問い合わせ
- 宮古市民文化会館
〒027-0023 岩手県宮古市磯鶏沖2-22
TEL:0193-63-2511 FAX:0193-64-5445
iwate-arts-miyako.jp
- 主催
- 公益社団法人日本芸能実演家団体協議会 アーツライブいわて実行委員会 特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター 文化庁 統括団体によるアートキャラバン事業(コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業)「JAPAN LIVE YELL project」 アーツライブいわて2022
- 制作
- 宮古市民文化会館
EVENT4
- TITLE
- 「夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー」お手紙ワークショップ&映像ワークショップ
今回の滞在で創作する「夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー」は、流刑の身となった人々の暮らしと営為をモチーフにした、参加型の舞台作品です。
今回のワークショップでは演劇的な視点から、歴史上の流刑者の立場を想像し、元いた場所に残した家族や友人に送る手紙を執筆したり、訪れた場所の映像記録を撮影するといったワークショップを行います。
参加者の皆さんが執筆した手紙、撮影した映像は1月15日に行われる公演の作中で使用いたします。
- 日時
- お手紙ワークショップ 2023年1月7日(土)13:00~14:00
2023年1月8日(日)15:00~16:00
映像ワークショップ 2023年1月7日(土)15:00~16:00
2023年1月8日(日)13:00~14:00
※映像ワークショップでは参加者ご自身のスマートフォンを用いて映像作成を行う予定です。参加者1名、もしくはご家族での参加の場合は1家族につき1台映像撮影に使用できるスマートフォンをご持参ください。
- 会場
- みやっこハウス(宮古市末広町8-24)
- 参加費
- いずれも無料
- 応募資格
- なし(小学校低学年以下は家族同伴。家族での参加歓迎)
- 定員
- 各回10名まで
- お申込み
- ・宮古市民文化会館(月曜休館)
・WEB予約:https://forms.gle/bb9vEii7CAYTeZcE6
- お問い合わせ
- 宮古市民文化会館
〒027-0023 岩手県宮古市磯鶏沖2-22
TEL:0193-63-2511 FAX:0193-64-5445
iwate-arts-miyako.jp
- 新型コロナウイルス感染症拡大防止対策について
- ①37.5度以上の発熱、咳やのどの痛み、強い倦怠感などの症状がある方のご来場はお控えください。ご来場の際にはマスクを着用し、公演中もはずすことの無いようにお願いいたします。 ②客席は、舞台からの距離を確保し、客席数を制限しております。 ③空調設備を適切に稼働させ、必要に応じて扉を開放するなど、十分な換気を行います。 ④お花やプレゼント・差し入れはお断りしております。 ⑤チケット販売の際にお伺いした個人情報は当日の受付のほか、新型コロナウイルス感染者が発生した場合にのみ保健所等の公的機関へ提供することがありますのでご了承ください。
映像
夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー
公演:2023年1月15日(日)
会場:宮古市民文化会館大ホール
インタビュー
レポート
滞在レポート|山田カイル・木村玲奈
山田カイル
「鶏が鳴く(かけがなく)」という枕詞がある。導かれるのは「あづま」であるが、何故そうなのかはよく分かっていない。鶏の鳴き声と共に東(あづま)から日が昇るからだろうか。鶏は古来より、朝の訪れを告げ、その鳴き声で夜闇を祓う神聖な生き物とされた。一方で、「吾妻の地の言葉は、鶏が鳴くように聞こえる(何を言っているのか分からない)から」こうした枕詞が生まれたという説もある。確かに、抑揚豊かに遅々と話す都人からすれば、関東の平坦な言葉も、しばしば文末にかけて大胆に吊り上がっていく東北の方言も、不可思議に聞こえたに違いない。
宮古での創作の旅を導いてくれたのは、赤坂憲雄『結社と王権』の中にたまたま見つけた、貴種流離譚である。かつて推古天皇の弟宮が宮古の地に流刑となった。皇子は自らの運命を悲しみ、崖から身を投げ、命を絶つ。地元の人々がその亡骸を探すがなかなか見つからない。しかし、皇子の可愛がっていた鶏を船に乗せると、その亡骸の沈んでいるところで鳴きはじめ、無事に埋葬することができた。この塚が黒森神社の端緒であり、亡骸が見つかったのが「磯鶏」だというのが、この伝説のあらましである。
18歳で東京に越してから、東北で本格的な創作をする機会は今回が初めてである。震災の直後に大学進学のために離れ、それきりになってしまった東北で僕は、何を作ることができるか分からずにいた。実をいうと、僕は地元青森、三沢や八戸に対して、ある種のコンプレックスを抱いている。率直にいえば、青森で過ごした10代は決して幸福なものではなかった。高校生になってようやく「ここは幸福な場所ではない」という共通認識で結ばれた友人が何人かでき、皆一様に幸福を求めて地元を離れた。幸い、三沢や八戸は、たいした被災もしなかった。何かを返さねば、地元を助けなくてはといった義務感もない。そういう義務感が無いことに胸を撫で下ろし、また、震災でおおきな犠牲を払った東北の他の地に足を運び、「東北出身のアーティスト」として人と話す時には、一抹の罪悪感を覚えてもきた。
「東北」という概念や、りんごや矢野顕子に一定の愛着を抱いてはいるが、実際に周囲にいた人間の多くを、僕は全然快く思っていない。誰もが「地元」に抱くそうしたありふれた両義性を、かの架空の皇子が受け止めてくれるような気がした。幼少の頃は東京で何不自由なく暮らしていたのに、米兵の父が赴任されたというだけの都合で青森に越すことになり、父が出て行ったために青森を離れることができなくなってしまった自分を、どこか皇子の流刑の身に重ねていたのかもしれない。
『結社と王権』で赤坂憲雄は大和の王権が日本列島全域に対して権威を持つようになるプロセスを紐解いているのだが、貴種流離譚をめぐる分析が興味深い。古事記ではある種の流刑として描かれるスサノオの東征が、常陸国風土記においては、別の様相を現すというのだ。スサノオは「天皇」であったことはないのだが、常陸の人々は彼をはっきりと「皇(おおきみ)」と呼び、山河に名をつけてもらおうと、あちこち連れ回して歓待している。スサノオにとっては吾妻への旅は罰であるが、東国の人々の視点からすれば、スサノオは−というか、「東征」の物語を生んだ西国との歴史上の現実の接触は−西国の王権を担った来訪神であったのではないか。日の昇る東(あづま)。訳のわからぬ言葉を語る吾妻。しかし西国より多様な実りを持った吾妻が、日本列島の経済と権威の中心となるのは、古事記成立のわずか400年後のことである。都と吾妻の間には、互いに憧憬と蔑情の入り混じる文化的緊張感があっただろう。「みやこ」という名が本州の東端についていることにも、そうした緊張感が伺えないか。
すると、「鶏」をめぐるシンボリズムに、新たな次元が見えてくる。西国の宗教儀礼においても重要な意味を持つ神聖な鶏。都人には理解不能な言葉でけたたましく鳴く鶏。三陸が気に入らないと死んでいった皇子の亡骸を鶏が見つけるというこの民話は、お前らを弔うことができるのは、お前らが言葉も分からぬと蔑むかの地の者に他ならないぞという、歴史的に見れば植民者である西国の王朝に対する、宮古の人々の特大の皮肉なのではないか。
貴種流離譚とは往々にして、失礼な話である。どこの地にもそこに暮らす人々がいて、そこに流刑されてくるのが不幸というのは、貴人の勝手な感慨だ。悪かったな田舎で。世界各地に一つの物語のアーキタイプとして、貴き憂いの旅人のそれが残っているのはむしろ、そういう憂いに満ちた旅人にキレずに適当にもてなして帰らせるという、大都市の外に住む者の知恵という気もする。
先般、流刑の皇子に若き自分を重ねていたのかもしれないと言ったが、それとは別に、はっきりと自覚的に、皇子に重ねていたものがある。アーティスト・イン・レジデンスで、どこか別の場所からやってくる芸術家の姿である。「夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー」というパフォーマンスの始まりを告げる劇中劇で、僕は少しだけこの流刑の皇子を演じた。玲奈さんも「誰もいない客席を通り、舞台を横切り、舞台裏へ歩いていく」というそぎ落とされたコレオグラフィを通して、皇子のイメージをその身に纏っていた。物語の皇子は担わなかった役割を、アーティストは担う必要があると考えた。即ち、これまで旅した別のところに暮らす人が持つ知恵や悩みや歓びを、新たに訪れた土地の人々に伝え、世界に新たな回路を繋ぐことである。今回の上演では、原発事故により期間困難地域となった故郷を久々に訪れる友人との電話越しにやり取りに、その繋がりを求めた。過客たる我々は、自らが旅人であるという事実以外に、差し出すものなどないのだから。
木村玲奈
岩手県宮古市での滞在制作が決まった時、私は自分自身とカイルくんの持つルーツのようなものと違いを見つめ直し、知ることが、宮古市での滞在生活・創作・公演に影響すると感じた。
私もカイルくんも今は東京を拠点に活動しているので、青森出身=東北出身という大きなカテゴリーに分類されるし、東北出身の人に出会うとなんとなく嬉しくなったりする。しかし東北は大きく(広く) 、土地ごとの風土、文化、慣習、人の感じも異なるので、同じ青森出身だとしても「異なる二人」であること、そして宮古にとって「自分たちは外部からの訪ね人である」ということをどのように捉え、宮古の方と一緒に遊べるのか、が重要な気がした。
夏の前期滞在の前に、私たちが育った青森を共に訪れ、盛岡でさんさ踊りに触れ、宮古市へ入った。青森では3年ぶりに開催された青森ねぶた・弘前ねぷた祭りを見に行き、弘前城の門で雨宿りしながら、何気ない話を沢山した。コロナ禍で3年ぶりの帰郷だった私は、「外部から戻った人」として、故郷の祭りや風土に改めて触れた。カイルくんと私は年代も異なるし、青森で過ごしていたエリアも異なる。でもお互い青森で過ごした時間を今振り返ると、様々な選択肢が都会より圧倒的に少なかったと気付く。当時からお互いダンスと演劇に触れていたけれど、公演を見る機会も少なかった。この一見マイナスに感じられる選択肢問題だが、在るものの中から自分の興味関心を見つける能力と、自分ならこうするといった想像・創造力が養われた私たちの共通点だと感じた。誰も与えてくれないのなら、自分でつくり出すしかない精神。また、風土や慣習によって無意識に振り付けられ、そこで生きるために自分自身を演出して生きていかなければならないことを小さい頃から実感していたことも思い出した。
前期滞在は5日間だったので、濃密にあっという間に過ぎた。震災学習ツアー、黒森神社のリサーチ、WSやインタビューを通して、風土や文化、慣習、そして地元の方の佇まいを学んだ。カイルくんが考えたWSのタイトル「みんなで孤独になりに行く」を私はとても気に入っている。人間は皆ひとりでこの世に生まれ、そして死ぬ。誰かと一緒にいてもついてまわる「孤独」を見つめ直し、捉え直していくことは生きていくことに直結する。異なる個体が、それぞれの孤独や差異を受け止めながら、それでも同空間に存在することを許されている時間がWSにはあった。私の振付やカイルくんの演出が目指す先のような感じがあって、個人的に手応えを感じた。初めての宮古市での時間で印象深かったのは、「この土地で暮らすことの満足感」のようなものを出会った方々から感じたことだ。
東京に戻ってからの時間は、お互い前期滞在での記憶や体感を反芻し、時々オンラインでミーティングを重ねながら後期滞在の構想を練った。初めての協働であり、ダンスの振付をしている自分と、演劇の演出をしているカイルくんが創造するもの、それは果たしてダンスなのか、演劇なのか、何なのか、そんなことを考えていたけれど、そもそも「これはダンスです/ 演劇です」と表明し、宮古の方々に観に来ていただく形がどうもしっくりこなかった。異なる個体が、それぞれの孤独や差異を受け止めながら、それでも同空間に存在することを許されている時間を考えた時、「カラオケ」をひとつのきっかけとするアイデアが出て(前期滞在時、宮古市民文化会館ではNHKのど自慢の大会が行われていた) 、後期滞在へ突入した。
後期滞在では、上演を予定していた『夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー』に関係したお手紙・映像WSを開催し、「外部からの訪ね人」である私たちのお題(演出・振付) を通じて、参加者の方が改めて自分の暮らす土地をみる視点や、感覚を側で感じた。中高生も参加してくれたので、彼女達にとって宮古はどんなところなのかも教えてもらった。進学で離れてもいつかはまた戻ってくるかもしれない土地だそうだ。このようなリサーチや体験を宿舎に持ち帰って、そこから何気ない会話や振り返りができることは、短期間だったけれど創作を大きく前進させた。一見、創作とは関係のない時間を共に過ごすことができるのは、滞在制作の醍醐味だと思う。
宮古では出る杭は打たれるし、変な人だと思われることを皆すごく嫌がる市民性があるそうだ。これらと前期滞在で感じた「この土地で暮らすことの満足感」のようなものとの関係を自分なりに考えながら、私たちに何ができるのか、今何をすべきなのかという問いと共に、上演に向けて振付・演出を宮古市民文化会館大ホールに施していく仕事を続けた。
上演当日、様々な年代の方々が歌を歌いに、歌う人を眺めに来てくださった。その時間の中には、孤独や迷い、喜びや悲しさ、希望や意志がありながらも、「今此処にいること」と「此処では無いどこか」が共存していた。ダンスも演劇も起こっては消え、ただのカラオケでもあり舞台作品でもあった。個人的に今後一生忘れることがない瞬間が上演中に訪れた。筆談で、ある女性と話した時間だ。私も相手の方も涙した。たった14日間しか宮古に居られない「訪ね人」な私ができることなど限られている中で、彼女から大切な何かを託された感覚があった。その受け渡しは、振付する側、される側といった関係性を超えて、私が彼女からギフトをいただくような、振り付けられるような瞬間だった。作品の構造はカイルくんと私が考えたものだけれど、その中に居た全ての人が演者であり、振付家、演出家、観客でもあった。『夜明けの国のコッコ・ドゥードゥル・ドゥー』が、宮古という土地、風土、慣習からの振付や、普段宮古で生きるために演出している身体・感覚から、少しだけでも自由になれる場・時間だったことを願う。
振付家も演出家もみんな人間。当たり前のことだけれど、言葉にしておきたいと思う。これは個人的見解なので異論がある方もいると思うが。日常もあれば、迷いもあるし、そんなにすごいことなんか無い。同時代を生きるただの人間として、宮古で生きる時間を与えてくれたIWATE AIR/AIRに心から感謝します。ありがとうございました。カイルくんもありがとう。そして今後ともよろしくお願いします。
宮古で過ごした14日間を身体と心に蓄えて、今日も東京で生きています。
担当者コメント
同じ東北出身のお二人でしたが、初めてくる宮古市に様々な視点からリサーチいただいたことを大変嬉しく思っております。今回テーマとなった是津親王伝説は恥ずかしながら初めて認識した歴史で、テーマをご提案いただいた顔合わせ当初から滞在へ向けた熱を感じていました。成果公演のカラオケイベントは、悲しみの中この世を去っただろう是津親王を思う貴重な体験であったと感じました。お二人の更なるご活躍をお祈りしています。
宮古市民文化会館
大原愛