地域×戯曲
プロジェクト ─2023
- TITLE
- 地域×戯曲
滞在地の市民の声を聞きながら短編戯曲を製作。製作した戯曲を発表いたします。
©️山下裕英
- AREA
- 宮古市
- ARTIST
- 私道 かぴ Kapi Shidou(作家・演出家)
- 1992 年生まれ。作家、演出家。京都を拠点に活動する団体「安住の地」所属。身体感覚をモチーフにした戯曲『いきてるみ』で第19 回OMS 戯曲賞佳作を受賞。脚本・演出を担当した短編演劇『アーツ』が第16 回せんがわ演劇コンクールにてオーディエンス賞を受賞。
映像作品「父親になったのはいつ? / When did you become a father?」が国際芸術祭あいちプレイベント「アーツチャレンジ2022」にて入選。「茨城水郡線 奥久慈アートフィールド2022」に選出され、駅舎にて音声を使ったインスタレーション作品を展示するなど、美術分野でも作品を発表している。
- 滞在期間
- 2023年12月1日(金)〜11日(月)、2024年3月15日(金)〜17日(日)
- 内容
- 土地と人生にまつわるお話を聞き、脚本に編み直し、役者が音読する音声作品を制作します。
- 主催
- 特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター
- 企画製作
- 宮古市民文化会館
滞在地域
宮古市
森、川、海に囲まれた三陸海岸に面する市、宮古市。
本州最東端の地である「魹ヶ崎」を擁し、世界三大漁場・三陸沖の豊かな漁業資源や、三陸復興国立公園・浄土ヶ浜や早池峰国定公園など、自然環境を背景に漁業と観光に力を入れている。黒森神楽をはじめ、40を超える郷土芸能があるほか、縄文時代の遺跡・崎山貝塚、戊辰戦争の一つ宮古湾海戦の地など歴史が点在している街。
イベント
EVENT1
- TITLE
- 宮古今昔おはなし会
宮古にまつわる昔のお話しや今の遊びまで、お話し会を開催し交流します。
- 日時
- 2023年12月8日(金)、10日(日)
- 場所
- 宮古市民文化会館・展示室、みやっこベース
- 新型コロナウイルス感染症拡大防止対策について
- ①37.5度以上の発熱、咳やのどの痛み、強い倦怠感などの症状がある方のご来場はお控えください。ご来場の際にはマスクを着用し、公演中もはずすことの無いようにお願いいたします。 ②客席は、舞台からの距離を確保し、客席数を制限しております。 ③空調設備を適切に稼働させ、必要に応じて扉を開放するなど、十分な換気を行います。 ④お花やプレゼント・差し入れはお断りしております。 ⑤チケット販売の際にお伺いした個人情報は当日の受付のほか、新型コロナウイルス感染者が発生した場合にのみ保健所等の公的機関へ提供することがありますのでご了承ください。
映像
インタビュー
レポート
レポート|私道かぴ
「人があんまり歩いてないので、道端で人に声をかけてリサーチするっていうのは難しいかもしれません」
宮古での滞在制作が決まったあとの打ち合わせで、担当の方にそう言われたのを覚えている。宮古市民文化会館の周辺も、津波の影響で今も閑散としているという。私は普段、道端や町の施設でばったり会った人に話を聞くところから作品をつくることが多い。さて今回はどうしようかなあと頭を抱えていると、会館の方はたくさんの人を紹介して下さった。
結果的に、下は小学生から上は93歳までと、滞在中に色々な人に会うことができた。幸運なことに、道端で初対面の方と会って話し込むことも数回あった。終わってみると、さてどれだけ沢山の方に話を聞く機会があったのか。ここに書き出して確認してみたい。
前期滞在(2023年12月1日~11日)では「学ぶ防災」に参加し震災の経験を聞き、薬師塗漆工芸館では初の螺鈿体験を行い、みちのく潮風トレイルに参加するつもりがいつのまにか町中に繰り出し、崎山貝塚縄文の森ミュージアムでは職員の方と共に土器を探し、北上山地民俗資料館ではおびただしい量の民具に驚愕、鈴久名の農家へお邪魔しては様々な郷土料理をご馳走になり、雪の中で元気に育っている畑わさびを見せてもらい、夜には花輪鹿子踊りを見学し、NPO法人みやっこベースでは元気な小学生たちに宮古のことを教わった。宮古市民文化会館に集まって下さった磯鶏河南クラブの皆さんからは、「古き良き時代」の宮古の姿を教えてもらい、その風景の豊かさと記憶の鮮やかさに驚いたものだった。
そのどれもが印象深く、限られた期間だったにも関わらず、宮古という土地に愛着を持つには十分なエピソードばかりで、作品をつくる上で大いに助けて頂いた。そんな前期滞在で特に幸運だったのは、みやこ市民劇ファクトリーの皆さんの稽古を見学できたことだった。
突然の訪問にも関わらず、ファクトリーの皆さんは稽古見学を快く承諾して下さった。日が落ちてから市民文化会館に集まる面々は、仕事や学業後にも関わらず元気で、稽古中は時折笑いもあり終始和やかな雰囲気だった。お互いがそれぞれの持ち味を知っているからこその配役や演出なのだろう、無理をしていない感じが伝わってくる。とくに宮古弁の場面がとても魅力的に映った。宮古弁が舞台上で発されると、見る者を引き付ける力が一段と上がったように感じた。その様子を見詰めながら、突如、自分の中で「この人たちと一緒に何かを作ってみたい」という気持ちがむくむくと湧き上がってきた。そこで、発表形態の一端が見えた。宮古について書いたテキストを、皆さんに読んでもらうことはできないだろうか…?
前期滞在後、会館の方を通じてお願いしてもらうと、なんと承諾していただいた。ほぼ稽古期間がない状況にも関わらず5名の出演が決まり、作品の発表の形がぐっと具体的になった。
もう一つ、作品形式を考えるに際して参考にしたことがある。それは滞在中にお世話になった方のある言葉だった。
「毎回アーティストが来て何か一生懸命作ってるのはわかるんだけど、中身を見るとやっぱり理解できない、難しいものが多くてさ」
「市民会館は、宮古駅周辺の者にとってはちょっと遠くてね。仕事の都合でなかなか行けないんだよね」
その言葉を聞きながら、開催日や開催場所を2つ設けること、できるだけ参加しやすい形態にすることを考えた。そして、滞在成果朗読会 『読むべす 聞ぐべす みやこのこえ』 の構想が出来た。【読みあうつどい】として、数本ある脚本の中からいくつかを選び参加者で声に出して読んでみるWS形式の発表を、【聞きあうつどい】としてみやこ市民劇ファクトリーの俳優による朗読会を、それぞれイーストピアみやこ(2024年3月16日)、宮古市民文化会館中ホール(3月17日)で行うことにした。手間がかかる形式にも関わらず対応して下さった宮古市民文化会館の皆さんには感謝してもしきれない。
そう一人納得していたら、その晩、来場してくれた人々にある感想をもらった。それは「3.11の話がなかった」というものだ。「宮古の過去から未来までのエピソードを書いているテキストなのに、3.11当日の話はないんだなあって思ったよ」。そう言われてハッとした。確かに震災の話は書いたものの、発生から少し時間が経ったエピソードばかりだったのだ。
「あれはさ、書かなきゃダメだと思うよ」
震災を経験した人からの、切実でまっすぐな助言だった。本当は、前期滞在の際に震災について聞いたことは沢山あった。実際に津波にあった場所に連れて行ってもらったこともある。その一方で、震災の話が全く出ない現場もあった。戦争の話は沢山出るのに、こと震災には話が広がらない。後から聞けば、何人かに集まっていただいて話をしたその現場には、震災の後にもとの場所に戻れた人、復興住宅に入るために移動せざるをえなかった人がどちらもいるようだった。もしかしたら、こういう場では話すのがはばかられるのかもしれない。その様子を見ながら、まだ書けないなと思った。今回は積極的に聞かなかったこともあり、震災当日のことを書き残すのは、これから先の課題だなと思う。
滞在の最終日、お世話になった人に「また来るねと言うアーティストを見て、それでも『どうせ来ないだろうなあ』と思うこともあるでしょ」と言ったら「まあねえ」と笑っていた。
「また来るね」という言葉や、「これから先も関わり続けたい」という気持ちは、嘘にならないようにひたすら持ち続けるしかない。戦争のことを話せる日が来たように、いつか震災のことを口にできる人が増えるまで、長いスパンで宮古との関わりを続けていきたいと思っている。
そんなこんなで迎えた後期滞在(2024年3月15日~17日)は、前期よりも日数が少ない上にやりたいことも多く、あっという間に過ぎていった。テキストをまとめた冊子を持ってお世話になった皆さんに挨拶に行き、ファクトリーの皆さんと読み合わせをした。その読み合わせの席で、興味深いことがあった。役者さん一人当たり2本のテキストをお願いする上で、他薦で割り当てを考えていた時のことだった。ある人が「これ〇〇さんに読んでほしい」と言ったテキストに対して、当の本人が「うーん」と難しそうな表情をした。そのテキストは戦後の女性の一人語りで、その時代の食糧難について語ったものだった。その人が「これは読めないかなあ。だってこの(テキストに書かれている)辺りに住んでいたけど、何かしら畑や海からの食べる物はあって、戦後に食べ物で苦労したってことはなかったもの」と言った。私は、「へええ」と思いながら、「食うに苦労したのよ」と話してくれた人の顔を思い出していた。
【読みあうつどい】では、岩手県内外から予想よりもたくさんの人に来ていただき、これまた想像よりもたくさんの方が車座になってテキストを読んでくださった。緊張しないよう、読みは一人が1行読み、そのまた隣の人が次の1行を読むという形にした。ひとつのテキストを、声質も口調も年齢も違う一人ひとりの読みでまわしていくのはおもしろい体験だった。誰かの実際にあった経験を、同じ地域、もしくは近い場所に住んでいる誰かが読む。時折「こんなんだったねえ」とか「へえ、そうなんだ」という声が聞こえる。そこには、知らないうちにすれ違っていたかもしれない他人の人生に思いを馳せるような、和やかな時間が生まれていた。
【聞きあうつどい】では、話を聞かせてもらった方々が多く足を運んでくださった。開演前には、テキストの抜粋をした展示を見ながら談笑する姿も見られた。ファクトリーの皆さんは、わずか2日前に配役が決まったにも関わらず完璧な読みをしてくださり、公演はあたたかい拍手に包まれて終わった。終演後、話を聞かせて下さった女性が「私の人生を物語にしてくれてありがとう」と伝えてくれた。隣にいたもう一人は、「本当にねえ、食べ物もなくて苦労したのよね」と言った。そこで、終戦後の食糧難の時代のテキストのことをおっしゃっているのだと気づいた。先日役者の一人が「戦争後に食べ物で苦労したことはなかった」と言っていたことを思い出し、もう一度聞いてみた。「やっぱりこの辺りって戦後は食べるのに苦労しましたか」。すると、彼女たちは「そりゃあもう」とうんうん頷いて教えてくれた。
私は、そこで初めてこの作品の持ち味を教えてもらったような気がした。同じ地域に住んでいても、やはりその環境や暮らしは全然違っていて、物語にするとそれが際立つ。時には「こんなことなかったけどなあ」と疑問を持つくらい、一人ひとりの人生は違っている。それでも、作品という形を借りて、誰かの言葉が自分の口を通して語られることで、何か心の変化が生まれるのではないか。自分の人生が相対化されることや、自分にもありえたかもしれない一生に思いを馳せる機会になるのではないだろうか。
担当者コメント私道さんの滞在は宮古市の人々と出会い、お話をすることを軸としたものでした。
特に印象に残っているのは、後期滞在の初日にお話をした方々へご挨拶に伺ったときの様子です。地域の皆さんは「また来ました」という私道さんを暖かく迎え入れてくださり、初めてお会いした時より和やかに会話が弾んでいるように見えました。私自身初めてお会いする方や聞くお話が多く、宮古を知るよい機会を得ることができました。
これまでのレジデンス経験を活かして取り組まれた宮古のレジデンスが、今後の私道さんの活動のお役に立てば幸いです。
吉田