かまいしのこえ

プロジェクト ─2025

TITLE
かまいしのこえ

かまいしのこえ

鉄・戦争・震災・芸能・くらし 
釜石の100年を聞く

AREA
釜石市
ARTIST
私道かぴ(劇作家・アーティスト)
私道かぴ(劇作家・アーティスト)
1992 年生まれ。京都を拠点に活動する団体「安住の地」所属の劇作家・アーティスト。身体性を意識した演出と、各地に実際に滞在し聞いた話を基に作品をつくる。近年はお祭や養蚕、瞽女、団地など土地とつながりの深いテーマで制作。『かいころく-工女編-』で第11回北海道戯曲賞大賞受賞。岩手での滞在制作は、2024年に宮古市にてみやこ市民劇ファクトリー出演で発表した朗読劇『みやこのこえ』に続き二度目となる。
実施期間①
滞在:10月11日~18日
実施期間②
滞在:11月21日~23日
実施市町村
岩手県釜石市
成果発表
11月22日(土)海と希望の学園祭 in Kamaishi 鉄の学習発表会 内 
発表場所
釜石情報交流センター PIT
時間 
14:10~14:50 朗読劇「かまいしのこえ」
リサーチ先
橋野鉄鉱山関連施設等、橋野鹿踊り・手おどり保存会、中村さんさ踊り保存会など
主催
岩手県沿岸広域振興局
共催
釜石市教育委員会
協力
C-Zero Academy
企画・制作
NPO法人いわてアートサポートセンター

滞在地域

釜石市

詳細は下記

釜石市は、岩手県沿岸南部に位置し、四季を通じて温暖で山と海に囲まれ、漁業も盛ん。「鉄と魚とラグビーのまち」といわれ、近代製鉄発祥の地として知られるほか、1978~84年に新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権7連覇を果たしたことから、現在もラグビーの歴史が受け継がれている。
神楽や鹿踊り、虎舞などの郷土芸能が盛んで、特に虎舞は、三陸地方の漁師たちが無事に家族の元に戻れるよう、航海安全祈願の思いを込めて多く伝承されており、市内5団体が指定無形文化財に認定されている。

釜石市

イベント

EVENT

TITLE
かまいしのこえ

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鉄・戦争・震災・芸能・くらし 
釜石のさまざまな人から聞いたお話でつくる朗読劇

日時
2025年11月22日(土)13:40~14:50 
海と希望の学園祭 鉄の学習発表会内

13:40~ 
鉄のまち釜石 ―大島高任のあゆみ―
発表 釜石小学校5年生

14:10~ 
かまいしのこえ
出演 C-Zeroアカデミーほか
終了予定14:50
会場
釜石PIT
岩手県釜石市大町1丁目1−10
マップ
新型コロナウイルス感染症拡大防止対策について
①37.5度以上の発熱、咳やのどの痛み、強い倦怠感などの症状がある方のご来場はお控えください。ご来場の際にはマスクを着用し、公演中もはずすことの無いようにお願いいたします。 ②客席は、舞台からの距離を確保し、客席数を制限しております。 ③空調設備を適切に稼働させ、必要に応じて扉を開放するなど、十分な換気を行います。 ④お花やプレゼント・差し入れはお断りしております。 ⑤チケット販売の際にお伺いした個人情報は当日の受付のほか、新型コロナウイルス感染者が発生した場合にのみ保健所等の公的機関へ提供することがありますのでご了承ください。

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インタビュー

レポート

釜石滞在コラム

文化のチカラを信じるハイカラな街
当たり前の話ではあるが、色々な地域に滞在させてもらうことが増えるにつれ、やはり一つとして同じ土地というのはないのだなと実感する。地形はもちろん、暮らす人の気質や考え方、生活様式など、近しい地域だとしてもやはり違いはあって、その一つひとつを知るのが楽しい。今回の滞在中に、何度か「釜石ってどんな町だと思った?」と聞かれることがあった。自分なりに感じた釜石らしさを、少し書きとどめておきたいと思う。
第一に感じたのは、港町・鉄産業の町ならではの人の流動性と、それに対する程良い距離感だった。
釜石まつりを見るために浜町に出た時のことだった。神輿が神社から港へ運ばれる道中、家から道に出て来て、神輿に向かってじっと手を合わせている女性がいた。ふいに目が合い、にこりと笑う。彼女は「今年も一年、津波が来ませんようにって拝んでるのよ」と言った。そこから20分ほど、津波の被害や、震災前の浜町の姿、家族や親戚がこれまでどうやって生きてきたかを聞かせてくれた。中にはかなり踏み込んだ話もあって、初対面の私にどうしてそこまで話してくれるのか不思議だった。すると「どっかで見たことあんだけど」と言う。「あれ、でも私今週来たばっかりですよ」と返すと、「あらそうなの、どこにでもある顔かな?」と笑う。「そうかもしれないですねえ」と笑い合いながら、このさっぱりした距離感が心地よいなあと思った。『かまいしのこえ』の作中にも書いた通り、以前の釜石の港はそれはそれは賑わっていて、大漁で他県からも移住者が来たそうだし、外国船も沢山来て、国籍も様々な人たちが港をよく歩いていたという。同じく栄えた製鉄業も、他地域から職人が来たり、会社になってからも転勤で行き来が盛んだったりと、常に人の往来があった。そのためか、見知らぬ人が歩いていても気軽に挨拶をし、会話を楽しむ人懐っこさがありつつ、後追いしない。そんな気質を感じる場面が何度もあった。そういえば、滞在中に「同じ岩手にいても、やっぱり釜石はひとつ違う場所っていう印象だった」という言葉を幾度も聞いた。やはり釜石は都会なのだなあと思う。
第二に感じたのは、「文化のチカラを信じている人が多い」ということだ。
今回は事前に約束をしていた方と、たまたま会った方に話を聞かせてもらい『かまいしのこえ』のテキストをつくった。特に偶然出会った人の場合は、ひとしきり喋った後に「それで、今回はどうして釜石に来たの?」という話になり、「実は脚本なんぞを書いている者でして…」と名乗って、今回の趣旨を話すことになる。チラシを出して「いま聞かせて頂いた話などを基に脚本を作って、朗読会をやります。よかったら来てくださいね」と話す。驚いたのは、その後の反応が皆さんとても積極的だったということだ。「ええ、行きたい」と言ってその場で予定を確認したり、「この日程は行けるかなあ」「何とかして行きたいなあ」と悩んだりして、基本的に「行く」前提で検討してくれる人ばかりだったのだ。これにはびっくりした。他の地域では、チラシを渡すと目を通してはくれるものの、「ああ、はいはい」「また予定見ておきますね」とその場の社交辞令程度の会話で終わることが多い。みなさん多忙であるしそれが当たり前のように思っていたので、偶然会った人から急に差し出された催しの案内に、積極的に参加しようとする姿勢がとても新鮮に感じられた。しかもこういうことが一度や二度ではなく続いた。一体どうしてなのか。
思ったのは、多くの人が「釜石がどう描かれるのか」に関心が高いのでは、ということだ。今回の滞在が決まってから、釜石にまつわる本を何冊か読んだ。製鉄に関する本を中心に、中には井上ひさし著の『花石物語』や、井上マス『人生はガタゴト列車に乗って』など文学作品もあった。意外だったのは、滞在中にこれらの作品の話をする機会が多かったことだ。「ああ、あの小説は釜石の姿がきちんと描かれているよね」とか「あっちはドラマ化もされたし、なかなかよかった」と感想をすらすらと話していて、性別や年齢を問わず、作品が広く共有されているのだなという印象があった。丁度釜石の書店にも『花石物語』が平積みされていて、今でも変わらず読まれているのだろうなと感じた。
他にも、製鉄所の暮らしを聞いていた折に、端島炭鉱を描いたドラマ『海に眠るダイヤモンド』の話になったことも何度かあった。「あんなにお隣さんと近くはなかったけど、雰囲気が似ていて懐かしかった」「釜石の場合は、端島のもっとばらけたような感じだったね」と言う。また違う場面では、「釜石や震災の話も、こうして話しているだけじゃなくて、誰かが書いてくれたらと思ってるんだけどね」という人もいた。皆、作品にして残すということを信じている。あるいは、作品を通じて釜石という町をもっと知りたいという気持ちを、持ち続けているのだと思った。釜石にとってこれほど喜ばしいことはないのではないか。
釜石からの帰り道、遠野に寄った。『遠野物語』の残した足跡を今でも人々がなぞって楽しんでいるのを見ながら、『銀河鉄道の夜』から名付けられた駅名のある三陸鉄道に乗る。釜石で気づいた「土地の物語を大切にする風土」は、岩手の各地に色濃く残っているのだなと改めて感じたのだった。

その先を想像する人たち
今回、釜石に住む様々な人に話を聞く中で、「将来ここがどんな町になってほしいですか」「のちの世代に何か伝えたいことはありませんか」という質問をした。戦争や、戦後の好景気や、震災を経験した人たちが、その後に何を望んでいるのか知りたかったからだ。
ある人は「釜石の人に、橋野鉄鉱山にもっと来てほしい。できればガイドの話を聞いて、私たちの前に頑張って来た人々がいたことを知ってほしい」と言い、またある人は「震災教育を今後もずっと続けてほしい。津波で亡くなる人がいなくなってほしい」と話した。芸能に携わる人たちは「少子化だし無理は言えないけど、本当は、ずっとこの芸能が残ってほしいと思ってる」と言った。それぞれに切実で、控えめだが強い思いをもっておられた。
その中で、特に印象深かったのが、ある女性がぽつんと言った「これから先は、もうどんな釜石になってもいいと思ってる」という言葉だった。よくよく聞くと、それは投げやりな意味では全くなかった。
「私たち大人は、ここを立て直すことに必死だったから。最近は高校進学でここを離れてしまう子も多くて、結局自分たちの影響もあるのかもしれないけど」と前置きしつつ、こう続ける。「震災で、つらいことが山のようにあったけど、それでもあの時期から沢山の人が来てくれて、色んな人と出会っていけるチャンスをもらえた地域だとも思っていて。そういう時期に子ども時代を過ごした子たちは、足元とか、故郷のことを見つめると思うんです。私はね、そういう子たちが作ったこの町が、この先どんな風になったとしても、きっと褒めてやりたい気持ちなんです。結論は、それはそれでいいの。その子たちが作っていくところなら、きっと大丈夫。『よくやった、よくやった』って、言うと思うんです」。
そう話す彼女の優しい表情を見ながら、「こうして自分たちを見守ってくれている大人がいることが、子どもたちに伝わっていたらいいなあ」と切に願った。地域から出たとしても、きっと思うようにできなかったとしても、「よくやった、よくやった」と自分たちを応援してくれている存在がいる。こんなに力強いことはないだろう。
その後、祭りの席でこんな言葉を聞いた。「盛岡に住む息子も、祭りになったら必ず釜石に帰って来る。今は仕事がないから仕方なく盛岡に行ってるけども、仕事さえどうにかなれば釜石に帰って来たいっていう子は他にも結構いる」。
滞在中に出会った、数年前に釜石に移住してきたというお母さんは、かまいしこども園に通う息子が園で虎舞を習うことに驚いたという。「キリスト教系の園で神事をやることにも驚いたし、園児全員が虎舞を踊れることにもびっくりした」と笑顔で話す。息子は、他から移住してきて初めて見る虎舞を、楽しく習っているらしい。幼い頃に身体に染みついた虎舞は、おそらく将来、釜石への愛着をより深いものにしてくれるだろう。
いつの時代も、おそらくこんな風に、上の世代と下の世代の思いやりの連鎖があったのだと思う。そのやり取りを間で見せてもらったものとして、もう少し、今後の釜石の行く末を見守っていきたいなあと考えている。

担当者コメント
かぴさんは空気のようにすうっと話し手の中に入って行っていろんな引き出しを開けてお話を聞きます。見事だなあ、と思います。そして創作されたお話には優しさが詰まっていて、いいなあ、と感じます。
滞在中はかぴさんの横でみなさんのドラマティックな人生のお話を聞いて私まで泣いたり笑ったり。時代、環境、いろいろあるけれどみんなたくましく生きている!生きて行く!と感じる滞在でした。
いわてアートサポートセンター 武田

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